2015年3月17日

 四日前にパリとロンドンから帰国して時差ボケが抜けずいつも眠い。今日も16時間も寝た。ようやっと起きても脳みそが縮んだような感じがあって目がとろんとする。耳鳴りもやまない。このように生活リズムの崩れたことによる体調不良、非現実的な旅行から急に現実に引き戻された絶望(帰国した翌日、わたしは区役所に行って住基カードを作った)、その現実が「来月から週に5日朝から晩まで金と生活と生活と生活と生活のために働かねばならぬ」という内容であること、などで抑鬱的な気分である。といってもブログは書けるけれどね。

 働く事実の前にわたしを憂鬱たらしめるのは、卒業式である。女性であるわたしは卒業式に袴を着ていかねばならない。そういった法律は無いがわたしの母の人は非常に保守的な人間であり、着ていかねばならないのである。成人式も本当は出たくなかったし、出るとしても振袖なんて着たくなかった。
 振袖というのはただ着ればいいのでは無く、前撮りという悪辣極まる行事がある。ある晴れた冬の日、読書や映画を観る時間を削って朝からよく分からん百貨店だかどこかの人気のない撮影スタジオに連れ込まれ、見知らぬおばはんに服を脱がされド下手な化粧を施され着物を着せられ、見知らぬカメラマンのおっさんにカメラを向けられカメラは強いフラッシュを焚いていて目をチカチカさせられた。その時あまりに笑顔が作れないわたしを見かねてか、「BGMがあると気分が上がるよね」と言っておっさんが、葉加瀬太郎のあの、ニュース番組の最初に使われている音楽を流してくれたこと、忘れないよ。そんな拷問を終えてマッキントッシュの画面につい先程撮影した100枚以上はあったような気がする写真を、自分の写真を、その中から手前らで4枚選べと言われ、高画質の不美人を延々眺めるという第二の地獄が始まった。母に「どれもブスで選べない。ブスっていうか、なんか、気持ち悪い」と言うと彼女は明らかに苛立ったような顔をした。それをうっかり通りかかって聞いてしまったカメラマンは、ははは、と苦笑していた。
 そして成人式当日、これまた朝も早くから叩き起され、成人を迎えた同い年の女が6疊くらいしか無い鏡張りの和室に順に詰められババアにぐるぐる回され帯が苦しいしもう嫌。昔の日本人は馬鹿。こんなにきつく巻かなくても脱げないし、仮にこんなにきつく巻かないと脱げてしまうんだとしたら脱げて素っ裸になったほうがマシ。とぐるぐると歴史を呪っているうちに鏡台の前に座らされ、ギャルにナーズの紫色のアイシャドウを塗られ、わたしは振袖や髪飾り、小物類を黒・赤・金で統一させているのにどこから紫を選ぶというインスピレーションを得たのか。しかしもう塗り直してくださいと言う情熱は皆無であり、少しでも早く今日という日から脱出したい。
 山手線は原宿駅で雪の重さで木が倒れたという理由で線路の途中で停止した。なんという日だと思った。バナナフィッシュに不適切な日だと思った。疲れたし苦しいから座りたかったが、座ると背もたれで帯のなんとか結びがぐちゃぐちゃになるから座れなかった。数十分待って電車が動き出し、会場のある駅に到着するも、雪で上はびちょびちょ下はつるつる、なーんだ?というなぞなぞの世界観にある道を歩かねばならなかった。なんとか無傷で会場に到着したが、仲の良い友達は大体悪天により来ていなかった。それか、友達の友達と話していて、友達の友達はわたしの友達では無かったし、今もこれからもきっとそうであるので、あまり話が弾まなかった。弾まないなりにも携帯電話で写真を撮りあい、互いの振袖を褒めたりなどした(中学高校と女子校に通っていたため区や市の集まりでは無く学校主催の集まりで、振袖以外に褒める袖は無い)。なんという茶番だろうと思った。友達たちは器量がいいから振袖姿も似合っていたが、わたしは写真で見た限りどこの関取だよというくらい滑稽な姿で、しかしそれでも着飾っているということは褒めねばならないということであり、いやだなあ。と思っていたところ、辛うじていちばん仲のいい友人が一人ぽつねんと任天堂DSで「どうぶつの森」をやっていたので、隣に座って「やあ」「ああ」くらいの挨拶を交わしてどうぶつたちのやり取りを眺めていた。

 以上の出来事に20万円以上ものお金が掛かっている。それなら旅行に行くなり欲しい服を買うなりなんなりするべきものを、「そうするものだから」という理由だけで振袖屋に金を払う。右に倣って桶屋が儲かる。
 このことも憂うべきだが、何より嫌悪感を催すのは、着飾るべき場で皆一様に着飾って褒め合う、ということだ。わたしは自分が振袖の似合わないことを事前に知っていた。しかし友達は友達である故、わたしの姿を褒めた。友達の友達も、友達の友達である故、わたしの姿を褒めた。嘘をつかせた。嘘をつくと地獄で閻魔大王に舌を抜かれるのだ。大事な友達の舌が抜かれる。これは卒業式でも行われる。そしてこちらのほうが厄介である。何故ならわたしはサークルに所属していて、毎年後輩たちは卒業式にやって来て卒業生相手になんやかんやするのが恒例である。きっと褒めてくれるのだろう。似合わないのに。で、成人式のときは相手も振袖姿だったから素直に褒め返せるのだが、今回はそうもいかない。ただただ無垢なる後輩たちに嘘をつかせ、「ありがとう」と言う。後輩たちはたった一度優しい嘘をついたがために地獄に堕ち、閻魔大王に舌を抜かれて痛い思いをする。いま、どうして舌を抜くんだろうと調べたら、閻魔大王はこんにゃくが好きという情報を得た。こんにゃくか…。