2015年1月28日

 大学生活最後のレポートを書き終えた。最後はゼミのレポートで、「コックと泥棒、その妻と愛人」という映画に於ける「食」の表象について。送信してから大学のメールを遡っていたら、2年生の頃に書いたレポートを見付けた。いろいろとテキトーだし酷いが、一番思い入れのあるものなので載せておく。一応、「還元されるスティーヴ・ライヒという現象」というタイトルで書いた。




 1950年代後半から60年代にかけて、のちにミニマル・ミュージックと呼ばれることとなる音楽が誕生した。主なミニマル・ミュージシャンは、スティーヴ・ライヒ(Steve Reich, 1936-)、ラ・モンテ・ヤング(La Monte Young, 1935-)、テリー・ライリー(Terry Riley, 1935-)、フィリップ・グラス(Philip Glass, 1937-)の4人が挙げられるだろう。彼らは、同時代にアメリカ合衆国という一つの同じ国家で生まれた。何故、ミニマル・ミュージックを必要としたのがアメリカ合衆国だったのだろうか。和辻の言うように「風土の型が自己了解の型」であると仮定するならば、芸術=音楽という、一つの民俗的所産の誕生を探ることは、すなわちアメリカ人が<アメリカ人である自己>を了解することであり、延いてはアメリカ合衆国の風土の型を知る術となり得るだろう。ここでは、スティーヴ・ライヒの楽曲と奏法を、「ミニマリズムの哲学者」と呼ばれるフランスの哲学者、モーリス・メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty, 1908-1961)の代表的著作『知覚の現象学』(“Phénoménologie de la perception”, 1945)に登場する、いくつかの概念を援用するという形で考察していきたい。

 スティーヴ・ライヒ(以下、ライヒ)は1936年、ニューヨークで生まれた。両親は、ドイツ出身のユダヤ人であった。彼は1965年に《イッツ・ゴナ・レイン》(“It's gonna rain”)という最初の完成された作品を発表し、以来、現在に至るまで活動を行っている。1974年から76年にかけて制作された《18人の音楽家のための音楽》(“Music for 18 musicians”)および、11988年に制作された《ディファレント・トレインズ》(“Different trains”)ではグラミー賞を受賞している。
 ミニマル・ミュージック(以下、ミニマル)は、非常に少ない音型を反復するのが基本であり、最大の特徴である。この名称は、同時代にやはりアメリカを中心に興っていた、ドナルド・ジャッド(Donald Clarence Judd, 1928-1994)やフランク・ステラ(Frank Stella, 1936-)に代表されるミニマル・アートとの類似性から、当時音楽評論家として活躍してたマイケル・ナイマン(Michael Laurence Nyman, 1944)によって名付けられた。ミニマル・アートの理論に影響を与えたのが、1962年に英訳された、メルロ=ポンティの『知覚の現象学』であった。彼の打ち出した現象学の概念は――主に彫刻芸術に於いて――さまざまな形で実践されることとなった。

 1967年に発表された《ピアノ・フェーズ》(“Piano phase”)は、テリー・ライリーの《イン・シー》(“In C”, 1964)と並んで、ミニマルの代表作と言われている。ライヒは「漸次的位相変異プロセス(gradual phase shifting process)」という、反復させた音型を、グラデーションのように変化させる手法を以前より用いており、《ピアノ・フェーズ》に於いてもそれはふんだんに用いられている。この楽曲は、予めテープレコーダーに録音していた楽曲に合わせて(ずらして)、ライヒが同じ楽曲を演奏することによって作られた。彼は、同じ音を繰り返し演奏するうちに、譜面を見る必要が無くなり、<演奏を聴く>という行為に集中していることに気づいた。つまり、ライヒの身体は、<同じ音の反復>という運動的な意味の獲得によって新たな習慣を獲得し、「身体図式」の組み換え/更新を果たしたのである。メルロ=ポンティは、「身体図式」の更新の例として、盲人と杖の関係を挙げた。盲人は、杖によって彼の触覚の範囲を拡げることが可能となる。かくして「杖はもはや盲人の知覚する対象ではなく、盲人がそれでもって知覚する道具」となったのである。これを《ピアノ・フェーズ》の演奏と、ライヒとピアノの関係に置き換えれば、ピアノという「新しい道具」を与えられたライヒ=演奏者は、<同じ音の反復>によって暗譜が可能となり、ピアノという対象は対象であることをやめ、演奏者の身体空間へと「統合」されるのだ。すなわち、演奏者の実存は、習慣の獲得を通して、転調ないし拡張されるのである。

 先程から、ライヒの楽曲に具わっている性質の一つとして、<同じ音の反復>と表現してきたが、これは彼の楽曲を説明するに際して、真に的確な表現であるとは言えない。たとえば、『ピアノ・フェーズ』の第一部では、「ミ・シ・レ」という3つの音と「ファ#・ド#」という2つの音の組み合わさったパターンが反復されている。ある任意のN度目のパターンから、次に続くN+1度目のパターンに移行したとき、われわれは客観的な分析態度によって、N+1度目のパターンをN度目のパターンと<同一である>と思い込んでしまうだろう。しかし実際は、二つのパターンの間にあるのは同一性では無く類似性であって、N+1度目のパターンを聴いているときのわれわれは、N度目のパターンを「連想」しているに過ぎない。客観的分析から得られる事実(ここでは繰り返されるパターンが、譜面上は<同一である>という事実)は、常にわれわれの知覚の後に来るものでる。それは、ミュラー・リアー(Franz Carl Müller-Lyer, 1857-1916)の錯視の例に於いてそうであったように、「等しいことをやめ」たからと言って「不等なもの」となってしまうのでは無く、「別のもの」として知覚されているのだ。「私が現在持っている自分の過去についての意識が私には、実際にその過去があった姿に正確に合致しているように思えても、私がもういちどその通りに捉えてきたと思い込んでいるその過去は、過去そのものではなく、現在私が見ている姿での過去」に過ぎず、過去はこのようにして「現在の私」によって変容せられているため、それらはけっして「同一物として認められるということなど出来ない」のである。「運動の表出」そのものである身体は、その運動性ゆえに、空間であると同時に時間でもある。これこそが、「身体図式」が客観的空間=「位置の空間性」ではなく、「状況の空間性」だと定義される所以であろう。
 《イッツ・ゴナ・レイン》や《カム・アウト》(“Come out”, 1966)といったライヒの最初期の作品では、ある人間が発した(それらは多分にポリティカルな意味を帯びている)文章をサンプリングし、さらに単語、一つの音節へと切り刻んでゆく。それを反復させることで、元の文章の意味は喪失し、純粋な音響となっていった。言葉が意味を帯びる以前の、前述定的な対象へと還元されたのだ。これと同様のことが、器楽作品である『ピアノ・フェーズ』にも当てはまる。われわれの耳に心地よく響くメロディとは、科学によって<心地よさ>を証明されたものだ。

 私が世界について知っている一切のことは、たとえそれが科学によって知られたものであっても、まず私の視界から、つまり世界経験( expérience du monde)から出発して私はそれを知るのであって、(…)もしもわれわれが科学自体を厳密に考えて、その意味と有効範囲とを正確に評価しようと思うならば、われわれはまず何よりもこの世界経験を呼び覚まさねばならないのであって、科学とはこの世界経験の二次的な表現でしかないのである。

 メロディという科学を構成する、単一の音の響きを耳にすること――それは世界経験の「抽象的・記号的・従属的」記述である科学を現象学的世界、つまり「生きられた世界」へと還元することなのである。そして、人間の発する言葉や、奏でられるメロディを<音>という最少の――ミニマルの――単位にまで「還元」することは、われわれが潜勢的に「了解」している「身体図式」を目の当たりにすることでもある。

 次に、《ディファレント・トレインズ》について考察する。先述の通り、ライヒはユダヤ系アメリカ人であり、両親の代まではドイツに住んでいた。両親はライヒが幼い頃に離婚し、彼は列車で両親の間を行き来する生活を送っていた。アメリカ人たる彼の乗る列車が向かう先は、母親または父親の住む家であるが、もしナチズムに支配されたヨーロッパであったとしたら、ユダヤ人たる自分が乗っていた列車の向かう先は強制収容所だっただろう、とライヒは想像する。「可能性としての『もう一つの歴史』」を想像しているのだ。
 《ピアノ・フェーズ》における反復は、絶えず<現在によって変容せられる過去>の姿を素描していた(それは同時に、未来によって現在が変容せられるであろうという可能性を示唆/予感させている)。一方《ディファレント・トレインズ》では、<アメリカに住む自分が事実として生きた過去>と<ヨーロッパに住む自分が可能性として生きた過去>という異なるコンテクストが、反復の中に配置される。無論、後者は客観的世界に於いての可能性に過ぎないが、現在という視座からこの二つを眺めるとき、それらはまったく同じ方法で変容せられているのである。しかして、この作品という「地」からは、二つの過去の風景という「図」が浮かび上がるだろう。だが、二つの風景に対置されるのは、ライヒ個人の自意識では無く、「その背後にある習慣の蓄積としての歴史」なのである。
 「還元」という概念を少々拡大して捉え直したい。《ディファレント・トレインズ》を作曲した1988年前後のライヒは、幼少期のライヒへと「還元」された。このことから、ある一つの仮説が生まれる――すなわち、生が最小単位=ミニマルに「還元」されたものとは、死である。――というものである。たとえば、フロイトにおける「死の欲動」という理論および、「反復脅迫」という神経症の症状が挙げられよう。

 フロイトが「死の欲動」の理論を導きだしたのは、第一次世界大戦によって負傷した兵士や幼児期のトラウマを抱えた患者の分析を通してであった。あまりにも耐え難い出来事を経験し
たために、それを象徴化=表象することも出来ず、(…)患者は往々にして「反復脅迫」と呼ばれる症状を引きおこす、過酷な体験を繰り返し夢にみるなどという深いな経験の反復は、あきらかに願望実現という従来の夢の定義を逸脱しており、快感原則にも反するものであった。

 上記の引用に則るならば、ここでライヒが「反復脅迫」という神経症的に見た「デモーニッシュ」な夢とは、言うまでも無く、ホロコーストやアウシュヴィッツというユダヤ人迫害に関する歴史的事実であろう。ユダヤ人たるライヒは、個人的に生きているということが、そのまま歴史的に生きるということへと直結してしまうのだ。生の過剰が死であるように、生のミニマルな「還元」も、また「死の欲動」なのだ。
 《ディファレント・トレインズ》では、さらにもう一つ「還元」される対象がある。この作品で聞こえてくる声は、アウシュヴィッツに収容されたユダヤ人たちのものである。それは確かに、収容所からの生還者のものに違いないのだが、彼らの声はサンプリングするためのマテリアルへと「還元」されている。それはあたかも、収容所に於いて<ユダヤ人である>という理由だけで、憎しみすらも無く、ただのマテリアルに「還元」されて処理された人々の最期のようである。身体空間から引き離された声というマテリアルは、いかなる「身体図式」の更新も告知せず、したがって実存が拡張することも無い。ライヒという個人の抑圧された「死の欲動」と、ホロコーストやアウシュヴィッツという歴史的事実としての大量の「死」が、類似した表情を持つ。それらは間断無く差異を創出しながら、次々と反復されるばかりなのである。

 ライヒの「還元」は、《ザ・ケイヴ》(“The cave”, 1993)や《プロヴァーブ》(“Proverb”, 1995)を経て、いよいよ自らの生より以前にまで遡及する。ユダヤ人であるという国家的アイデンティティの探求が始まるのである。この自己の実存を大きく超越する様子は、ライヒと同時代に活躍した「ファンクの帝王」、ジェームズ・ブラウン(James Joseph Brown, Jr., 1933-2006)を始めとするブラック・ミュージシャンの姿を「連想」させる。両者は反復という同じ性質を持ちながら、それは「同一物として認められる」ことは無い。何故なら一方はユダヤ人であり、一方は黒人であるからだ。類似性の外にある差異は、しかし対立せずに反復される。反復によって現出するコンテクストの多義性というのは、移民国家であるアメリカ合衆国の在り様と重なると言えるだろう。
 以上、主に「還元」という概念を通してライヒの音楽を見てきた。そのことを通して、アメリカ合衆国の多様な人種と、彼らの「身体図式」の一部分が明らかとなった。差異は「同一物」として押しとどめられること無く、また互いに対立し合うことも無く、反復される。「耳は無意識の領域にあって、閉じることが不可能な唯一の開口部である」とラカンが言うように、現前する世界は、否定し難い現実である。ミニマル・ミュージックとはまさに、潜勢的な運動によって身体に「了解」された習慣を解きほぐし、われわれ――作曲者たるライヒ、演奏者をも巻き込んだ<われわれ>――を「生きられた世界」まで連れ戻す音楽なのである。






■参考資料






上:ミュラーの錯視。どう見ても下のほうが長いとしか思えない。
中:ピアノフェーズ。弾くの大変そう。
下:ケースマイケルが振り付けしたピアノフェーズ。踊るの大変そう。





■参考文献
E.ストリックランド(柿沼敏江、米田栄訳)『アメリカン・ニュー・ミュージック―実験音楽、ミニマル・ミュージックからジャズ・アヴァンギャルドまで』(勁草書房)1998.
М.メルロ=ポンティ(竹内芳郎、小木貞孝訳)『知覚の現象学1』(みすず書房)1967.
飯野友幸ら『ブルースに囚われて―アメリカのルーツ音楽を探る』(信山社)2002. 所収、大和田俊之「反復するサウンド、複製するブルース―スミス、フェイヒィ、ライヒ」
大塚英志『怪談前夜―柳田民俗学と自然主義』(角川選書)2007.
小沼純一『ミニマル・ミュージック―その展開と思考』(青土社)2008.
立入正之、荒川弘子ら『アメリカ文化入門』(三修社)2010.
和辻哲郎『風土―人間的考察』(岩波文庫)1979.
http://www.netlaputa.ne.jp/~pass-age/SR/SRTop.html
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/25987/1/rel02306.pdf

2015年1月23日

 昨日が最後の授業だった。1限からテストだったにも拘らず寝坊して、早速単位を落とした。最後のアルバイトの日も1時間以上の寝坊をしたし、わたしはいつもこうなんだと思った。友人たちと「大学生活でやり残したこと」という話題になって、みんなクラブだとか合コンだとかいったことを挙げていた中、わたしはタクシー登校が頭に思い浮かんだ(駅から大学が近いのでやったこと無かった)ことを思い出して、昨日の朝それを実行した。折角なので家から大学まで。わたしが乗るタクシーの運転手は無口な人ばかりなのだけど、昨日の運転手は初めから終わりまでよく喋る人だった。普段は新宿や池袋辺りを走っているらしく、わたしの家の近くに着たのはほとんど初めてだったそうだ。「どちらまで」と訊かれたので大学名を告げると、「道の練習になっていい」と言っていた。嬉しそうだったのであまり考えないように努めたが、カーナビが目に入って仕方なかった。おじいさん運転手にしばしばあることだ。
 その後は普段通り、淡々と授業を受けた。来年度の講義の方針を説明し、「良ければ来年度も受けてみて下さい」と言う教授も居り、それが叶わない事実を静かに感じていた。まあ、卒業出来ればだけれども。
 今日提出のレポート二つを書き終えたし、あとは28日と30日締切のレポート二つを提出したら、春休み。いつも通り平穏に日々を過ごせればと思う。

2015年1月4日

・2014年面白かった映画
1位 リチャード・C・サラフィアン「バニシング・ポイント」
2位 ジョン・カサヴェテス「チャイニーズ・ブッキーを殺した男」
3位 アキ・カウリスマキ「浮き雲」
4位 アレハンドロ・ホドロフスキー「リアリティのダンス」
5位 クリストファー・ノーラン「インターステラー」
5位 ウディ・アレン「ブルー・ジャスミン」

 5位は選べなかったのでこの二つ。「バニシング・ポイント」以外は劇場で観ている。遅くに生まれるほど色んな時代の名画が見放題なのは嬉しいけれど、劇場で観られないのが悲しい。お金持ちになったらホームシアターが欲しい。でもそうしたら何もしなくなってお金持ちじゃなくなる。


・2014年面白かった本
1位 ジャック・デリダ「火ここになき灰」
2位 フリオ・コルタサル「コルタサル短編集 悪魔の涎・追い求める男」
3位 ボフミル・フラバル「あまりにも騒がしい孤独」

 そう言えば写真を撮ったりなどしてちゃんと感想書く、と前の記事で宣っていたっけ(追憶)。
 ほかにも読んだのだけど勉強(レポート)用の読書がほとんどできちんとメモを取っていなかったこと、町田康読みすぎで町田康ランキングになってしまいかねないことから、以上のような縮小された結果に。もちろん他の本が入ってもこの順位は変わらないけれど。本当にどれも面白かったし読みやすかった。デリダは読みやすかったと言っていいのかわからないけれど(アマゾンのレビューにも「奇書」とか「特異な書物」とか書いてある。だからと言って自分には理解出来ないと良著を読まずに人生を過ごすことは残念であるが)。ラジオの脚本だという前書きが無かったので、最初に読んだときは詩かと思った。いずれのジャンルにも属さない素晴らしい書物。

2015年1月3日

12月観た映画
・アンダルシアの犬
・甘い生活
・チャイニーズ・ブッキーを殺した男
・インターステラー
・胸騒ぎの恋人
・スタンド・バイ・ミー
・カールじいさんの空飛ぶ家
・羊たちの沈黙
・ガラスの墓標
・バニシング・ポイント
・戦場のメリークリスマス
・レッド・ドラゴン
・ソーシャル・ネットワーク
・ゴーン・ガール
 母の実家に帰省している。昼寝をし過ぎて眠れない。未だにフリック入力に身体が適合しないのでスマートフォンからブログを書くのは初めてだと思う。どうせなら2014年について書こうかと思うが、例年通り記憶がどれも曖昧である。
 2014年度、わたしは大学4年生になり、きちんと単位が取得出来ればこの3月で卒業する。のんべんだらりとやっていた職探しも終わり、アルバイトも辞めたし、毎日ポカンと阿呆のように口を開けて暮らしている。って何故か近況報告になってしまった。そうじゃない。わたしが大学に4年間通っていて思ったことは、ってこれも卒業が決まってから書きやがれという話題。本当に特に何も無かった。面白かった本、映画については帰宅したらパソコンからきちんと画像を添付して書きたいと思っているから、いよいよ書くことが無い。2014年も色んなことにムカついて不満タラタラで歯をよく磨いた(これの元ネタの画像は2015年も笑えると思う)。
 そう言えば髪の毛を一度も短くしなかった。あとパーティードレスを着て大学に行かなくなった。真っ黒い服も着なくなった。心境の変化があったわけでは無く、ノームコアとやらがわたしにもこういった形で波及してきたのだろうと解釈している。でも以前はそういった分かり易い部分で人に差別され切り捨てられることで、傷つくことが圧倒的に多かったけれど守られる部分というのも少なからず存在した。この間ツイッターで小悪魔アゲハの煽り文を画像付きで茶化すツイートが流れてきて、「派手な服はいつだってアタシたちの脆いプライドを守る鎧だった…」みたいな、何言っとんじゃって感じだけど、知らず知らずの内に、穏やかで寛容な人に囲まれてスクスク育ったのだからわたしだって同じようなものだ。今年はそれが無くなって、あまりにも簡単にわたしの示す屈託がわたし自身と結びついて理解されるようになった。あと、これまでは現実(仮)と精神のギャップはあっても身体は現実(仮)の側に属していたからやってこられたのだけど、2014年は身体が現実(仮)からも精神からも乖離してしまって可哀相だった。あと数ヶ月でどちらかに繋いでやりたいが、まだこんな状態には不慣れなのでいつか宇宙から海へ堕落する自分を救い出す、というような事態に陥るのだと思う。
 孤独に紙吹雪が舞い込んでいる。